長い年月を経てもなおカタチをとどめている建造物が、全国には多くあります。 それらには先人の叡智、技術の粋が結集されており、人々の暮らしの中に溶け込みつつも、現代の建造物にはない独特の存在感を放っています。
そんな土木遺産を多くの方々に知ってもらいたい。そして、土木遺産を後世に伝えるために記録として残しておきたい。そんな想いから、フォトギャラリーコンテンツ『写真で巡る、土木遺産』(本企画)がスタート。
全国にある土木遺産を、フォトグラファーとモデルとともに巡りながら、その建造物の魅力に迫っていきます。
10回目となる今回は、東京都千代田区永田町にある「日本水準原点と日本水準原点標庫」、「電子基準点 東京千代田」を訪問。
「日本水準原点と日本水準原点標庫」は、日本の高さ(標高)の基準として明治24年に陸地測量部により創設された原点標と、それを保護するための建築史上貴重な石造施設です。
「電子基準点 東京千代田」は、全国約1,300ヶ所あるGNSS連続観測点のひとつで、受信したデータは、測量の基準や地殻変動の観測に用いられています。
それでは、土木遺産を巡る小旅行へ、いってらっしゃい。
日本水準原点と日本水準原点標庫(東京都 千代田区 永田町)
日本の高さ(標高)の基準として明治24年に陸地測量部により創設。原点標とそれを保護するための建築史上貴重な石造施設であり、現在も使用されている公的建造物において「大日本帝国」号を残している希有な建造物。国の重要文化財にも指定されている。
石造りの建物「日本水準原点標庫」の中に、日本国内の高さの基準となる「日本水準原点」が設置されている。土地の高さ(標高)は平均海面を0mとして、そこからの高さで表すが、実用的には地上のどこかに標高の基準となる点を表示しておく必要がある。
そのため、1891年(明治24年)に陸地測量部では、この地に標高の基準となる点(水準原点)を創設。当時、隅田川河口の霊岸島で行われていた潮位観測(6年間の平均値)と、霊岸島からこの地までの高さの観測(水準測量)結果を用いて、建物内部の水晶板目盛りの0表示の高さを、東京湾平均海面上24.500mとした。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災により地殻変動が生じたため、地震による影響のなかった地域からの水準測量データや油壺の験潮データを用い、原点が86mm沈下したことを確認し、原点数値を1928年 (昭和3年)3月に24.4140mと改定。さらに、2011年(平成23年)3月に発生した東北地方太平洋沖地震による地殻変動で24mm沈下したため、2011年(平成23年)10月に原点 数値を 24.3900mに改定している。(参考:https://senseki-kikou.net/?p=5007 / https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/sokuchikijun41034.html)
電子基準点 東京千代田 (東京都 千代田区 永田町)
「日本水準原点と日本水準原点標庫」のほど近くに設置されている「電子基準点」。電子基準点は、全国約1,300ヶ所に設置されたGNSS連続観測点。外観は高さ5mのステンレス製ピラーで、上部にGNSS衛星からの電波を受信するアンテナ、内部には受信機と通信用機器等が格納されている。 基礎部には、電子基準点付属標と呼ばれる金属標が埋設してあり、トータルステーションなどを用いる測量にも利用でき、さらに、「日本水準原点」の変動をモニターできることから、大きな地殻変動が生じた場合でも円滑な測量が可能になっている。(参考:https://www.gsi.go.jp/denshi/denshi_about_GEONET-CORS.html)
WRITTEN by
建設土木の未来を
ICTで変えるメディア