長い年月を経てもなおカタチをとどめている建造物が、全国には多くあります。
それらには先人の叡智、技術の粋が結集されており、人々の暮らしの中に溶け込みつつも、現代の建造物にはない独特の存在感を放っています。
そんな土木遺産を多くの方々に知ってもらいたい。そして、土木遺産を後世に伝えるために記録として残しておきたい。そんな想いから、フォトギャラリーコンテンツ『写真で巡る、土木遺産』(本企画)をスタート。
全国にある土木遺産を、フォトグラファーとモデルとともに巡りながら、その建造物の魅力に迫っていきます。
7回目となる今回は、首都圏から離れ、和歌山県と兵庫県淡路島の間の紀淡海峡に浮かぶ島々(沖ノ島・地ノ島・神島・虎島)、「友ケ島」を訪れました。
瀬戸内海国立公園の一角を占め、明治期には、旧日本陸軍の要衝が築かれ、軍事防衛の拠点として大切な役割を担っており、友ヶ島。現在も複数の砲台や防備衛所が当時の面影を残したまま存在している。
中でも朽ちた赤レンガ施設が象徴的な「第3砲台跡」は、当時の戦争を証言する貴重な施設となっているのはもちろん、昨今では「ラピュタの島」と称され、国内外から注目を集めまています。
それでは、旧日本陸軍の要塞が残る無人島群「友ヶ島」へ、ようそろ〜〜。
友ヶ島砲台群(和歌山県・和歌山市)
2003年土木学会 選奨土木遺産に認定。和歌山県と兵庫県淡路島の間の紀淡海峡に浮かぶ島々(沖ノ島・地ノ島・神島・虎島)は友ケ島と総称され、その中で一番大きく、海峡中央に近い沖ノ島は、フレンドリーアイランド友ケ島として、現在では自然と史跡の観光地となっている。和歌山市加太港から友ケ島汽船で約20分のところにある。
この沖ノ島には、旧日本陸軍が建設した友ケ島砲台群が残存している。
明治初年から、陸軍は国土防衛のため,東京湾をはじめ全国主要な地に砲台を建設することを計画し、まず1880(明治13)年に東京湾の観音崎砲台工事に着手。つづいて1887年に対馬・下関の砲台工事が開始され、1889年に大阪湾入口の紀淡海峡地区に砲台建設が開始された。敵艦船が大阪湾に侵入するのを阻止するため、淡路島の由良地区に11か所,友ケ島地区に6か所,加太地区に8か所の砲台が建設され、これらを由良要塞と称した。
友ケ島には、6か所に砲台が築かれ,それぞれ備砲が据えられた。また砲台には、観測所・弾薬庫・掩蔽部(地下兵舎)、さらには、隣接諸砲台で共通利用する照明所(探照灯設置所)と発電所(超小型の火力発電)も建造されている。
全国各地の要塞砲台のなかでも、これほど原形を残しているところは存在しない。
これら砲台や地下構造物、発電所・兵舎のほとんどが煉瓦造りで、その積み方は,いわゆる「イギリス積み」である。陸軍は、明治20年代以降、砲台の煉瓦構造物をイギリス積みに統一していた。(参考:https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/281)
丸尾 陽菜(まるお ひな)
2003年8月7日生まれ。和歌山美少女図鑑所属。特技はダンス。幼少期から女優(俳優)になりたいという夢を持ち、17歳で和歌山美少女図鑑に所属。夢に向かって日々多方面で活動している。
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フォトグラファー 宇佐美 亮
2009年 和光大学人間関係学部(哲学専攻)卒業後、プログラマーとしてシステム会社に3年間勤務。その後、2つのフォトスタジオでスタジオマンを経験し、2018年11月 フリーランスのカメラマンとして活動を開始。 現在までにカルチャー系WEBメディアや雑誌、アーティストやアイドルのCDジャケット・宣材、書籍の装丁、企業広告など多岐に渡る仕事を手がけている。
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