京都府亀岡市は、西日本旅客鉄道が所有し、嵯峨野観光鉄道が運行する「嵯峨野観光鉄道(通称:嵯峨野トロッコ列車)」の線路施設群(橋梁および隧道等)が、国の文化審議会より文部科学大臣に対し、国登録有形文化財(建造物)として登録するよう答申されたと発表した。
今回登録の答申を受けた対象は、京都市から亀岡市にまたがる全18基の土木構造物であり、そのうち亀岡市内に所在するものは隧道4基、橋梁8基の計12基となる。
これらは明治時代に建設され、現在も観光列車として両市を結び運用され続けていることから、現役の産業遺産としての歴史的および技術的価値が国によって認められた。
今回登録答申の対象となった構造物は、明治32年(1899年)の京都鉄道(現在の山陰本線)開通当時に建設されたものである。
これらは、保津峡の急峻な地形を克服するために投じられた当時の先端技術を今に伝える貴重な遺構だ。

煉瓦造による重厚な隧道や、渓谷を跨ぐ橋梁群は、保津峡の四季折々の自然景観と調和し、車窓からの眺望に深みを与えている。
これらは単なる過去の遺産に留まらず、現在も多くの観光客を輸送する現役の産業遺産として機能している点において、極めて高い価値を有している。
亀岡市内に位置する各構造物は、保津峡の景観を構成する不可欠な要素である。
とりわけ「嵯峨野観光鉄道鴎谷(かもめだに)橋梁」は、亀岡市と京都市の市境に架橋されており、その歴史的価値の保全に向けては、両市が緊密に連携し、意見具申を行った。
主な物件は、嵯峨野観光鉄道鴎谷橋梁、朝日隧道、地蔵第一・第二隧道、第五二号橋梁等となっている。
今回の登録答申により、トロッコ列車は単なる景観鑑賞のための移動手段ではなく、明治期の歴史と技術の体感としての価値が加わる。
(左:嵯峨野観光鉄道鴎谷橋梁/右:嵯峨野観光鉄道番外六号橋梁)
窓ガラスのない開放的な車両からは、保津峡の風や音を直接的に体感することが可能だ。
煉瓦積みの隧道を通過する際の反響音や、橋梁を渡る轟音を通じて、一世紀以上前に築き上げられた歴史の重厚さを肌で感じることができる。
明治期の土木技術と保津峡の雄大な自然が融合した景観こそが、本資産の本質的な価値である。
嵯峨野観光鉄道では、新型車両の導入が計画されており、新旧の技術が調和した魅力を保津峡の雄大な景観とともに広く発信し、その価値を届けていく。
今回登録の答申を受けた対象は、京都市から亀岡市にまたがる全18基の土木構造物であり、そのうち亀岡市内に所在するものは隧道4基、橋梁8基の計12基となる。
これらは明治時代に建設され、現在も観光列車として両市を結び運用され続けていることから、現役の産業遺産としての歴史的および技術的価値が国によって認められた。
明治32年建設の煉瓦造隧道や橋梁群が保津峡の自然と調和
今回登録答申の対象となった構造物は、明治32年(1899年)の京都鉄道(現在の山陰本線)開通当時に建設されたものである。
これらは、保津峡の急峻な地形を克服するために投じられた当時の先端技術を今に伝える貴重な遺構だ。

煉瓦造による重厚な隧道や、渓谷を跨ぐ橋梁群は、保津峡の四季折々の自然景観と調和し、車窓からの眺望に深みを与えている。
これらは単なる過去の遺産に留まらず、現在も多くの観光客を輸送する現役の産業遺産として機能している点において、極めて高い価値を有している。
亀岡市内に位置する各構造物は、保津峡の景観を構成する不可欠な要素である。
とりわけ「嵯峨野観光鉄道鴎谷(かもめだに)橋梁」は、亀岡市と京都市の市境に架橋されており、その歴史的価値の保全に向けては、両市が緊密に連携し、意見具申を行った。
主な物件は、嵯峨野観光鉄道鴎谷橋梁、朝日隧道、地蔵第一・第二隧道、第五二号橋梁等となっている。
今回の登録答申により、トロッコ列車は単なる景観鑑賞のための移動手段ではなく、明治期の歴史と技術の体感としての価値が加わる。
(左:嵯峨野観光鉄道鴎谷橋梁/右:嵯峨野観光鉄道番外六号橋梁)窓ガラスのない開放的な車両からは、保津峡の風や音を直接的に体感することが可能だ。
煉瓦積みの隧道を通過する際の反響音や、橋梁を渡る轟音を通じて、一世紀以上前に築き上げられた歴史の重厚さを肌で感じることができる。
明治期の土木技術と保津峡の雄大な自然が融合した景観こそが、本資産の本質的な価値である。
嵯峨野観光鉄道では、新型車両の導入が計画されており、新旧の技術が調和した魅力を保津峡の雄大な景観とともに広く発信し、その価値を届けていく。
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