長い年月を経てもなおカタチをとどめている建造物が、全国には多くあります。 それらには先人の叡智、技術の粋が結集されており、人々の暮らしの中に溶け込みつつも、現代の建造物にはない独特の存在感を放っています。
そんな土木遺産を多くの方々に知ってもらいたい。そして、土木遺産を後世に伝えるために記録として残しておきたい。そんな想いから、フォトギャラリーコンテンツ『写真で巡る、土木遺産』がスタート。
全国にある土木遺産を、フォトグラファーとモデルとともに巡りながら、その建造物の魅力に迫っていきます。
11回目となる今回は、広島県・広島市内にあるふたつの土木遺産を訪れました。「猿猴橋」は花崗岩を多用した装飾的な橋梁で、第二次大戦時の原爆にも耐え、広島の街の復興を見とどけてきた橋梁。「京橋川の雁木群」は日本最大の雁木群で、歴史的な水辺空間を演出している場所です。
それでは、水の都“広島”を象徴する土木遺産へ、いってかえりんさい
猿猴橋(広島県 広島市)
被爆に耐えた装飾的橋梁 猿猴橋。「猿猴(えんこう)」とは、広島地方で語られているサルに似た河童のような想像上の怪物のこと。猿猴橋はもともと16世紀末の毛利時代に架けられた木橋で、永く陸上交通の要として利用されていた。
現在の猿猴橋は、大正15年(1926年)に鉄筋コンクリートの橋として架けられた。親柱の上に設置された鷲の像など、豪華な装飾で、当時『広島一美しい橋』と呼ばれたが、その後、戦時の金属類回収令によって装飾品は回収。現在の装飾は、平成28年(2016年)に復元されたもの。猿猴橋は原爆投下時、欄干の一部が損壊したものの、構造的な被害はほとんどなく、被災者の避難や救済活動に使われた。(参考:http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2011_18.shtml)
京橋川の雁木群(広島県 広島市)
広島市内にある上柳橋をはさんで上流の「栄橋」、下流の「京橋」の間には、たくさんの雁木(がんぎ)を見ることができる。
『雁木』とは、船着き場として利用される、海や川などの水辺に降りていく階段のことを指す。京橋川にあるこれらの雁木群は、『水の都“広島”を象徴するわが国最大の雁木群で、歴史的な水辺空間を演出している』として、平成19年(2007年)に土木学会選奨土木遺産に認定されている。
(参考:http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2011_18.shtml)
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